ひばりくんに関わらず90年代以前の日本の性的マイノリティの描き方って結局「ネタ」でありフェティッシュな関心の対象であって、決して社会正義のお題目のための表現でもなんでもないからな

セーラームーンの同性愛描写が日本ではTV放送されたがアメリカでは検閲される、ということがあったが、このように日本の漫画やアニメの表現は欧米より遥かに「進歩的」だった

かといって武内良子が大衆を啓蒙したり同性愛者を勇気づけるために同性愛者を自らの漫画のなかに登場させたというわけではなく、たんに「そういうのが好きだった」から出したわけだ

むしろオタクの自らの欲望に率直で規範にとらわれない消費主義こそが、当時の時代からみてもラディカルで進歩的な表現を生み出した
それに対して90年代のアメリカは現代のポリコレとその方向性こそ違うが「表現物は道徳的でなければならない」「表現と社会は表裏一体のものである」という全く同一の思想によって表現を規制した

要するに当時の保守派も現代のポリコレ左派も同じ穴のムジナというわけだ
だからブリジットのトランス化は、二重の意味で「後退」なのである